著者近況
要するに日記。人に公開するのは本来の目的ではなく継続するための手段です。4月末からすっかり倒錯しています。事実を記すべきなのに自分だけの真実むしろ不確定な幻想と悪夢に取り憑かれているようです。振り返って見るとやばいという箇所が見つかりコメントアウトすることも間々あります。気がついても一切本人には伝えないでください忘れてください。
9月11日(土)
夢。文化祭だ。またもや文化祭だ。しかも遙か昔(高校時代だったかもしれない)に見たある夢と酷似した場面設定だ。前半の記憶喪失。・・・外に出てみる。6班の出店だ。確か6班には・・・。左の方を向いてみる。人影に隠れてほとんど見えないが確かに一瞬いたような気がする。相変わらず顔さえ不確かで声は聞こえてこない。誤魔化すように布施に話しかける。・・・なんだかんだあって。・・・布施と原と3人で行動。雨。いつの間にか雨。布施と原が危険な遊技に没頭しているので愛想を尽かして単独行動。濡れた体のままテントに置いてあった鍵盤に触れてみる。・・・色々あって。・・・廊下でふ化したばかりの亀を見つける。海に流してやろうと手に取り老婆に一番近い海を訪ねる。外に出ると鈴木が何かを川に放流していた。ほとんど骨だけになった魚だ。活け作りにされた魚を川に帰していたのだ。元気に下流に向かって泳いで行く薄い薄い魚。身が皆無であるので体力が尽き、やがて水面に浮かんで動かなくなったまま遠くへ流されて行く。「いっそ、全部食べてやった方があの魚は幸せだったかもしれない」ふと視線を落とすと亀も手のひらの中で静かに。●学校のwwwサーバのログを調べる。膨大なエラーログ。ed/it/u98b094に対するリクエストのエラーログ。憤慨。久方ぶりにはらわたが煮えくり返るほどの。この大量のnot found (code:404)中に大切な人のアクセスが一つでも存在するとしたら。ナントイウコトダ!ユルスマジ!根拠のない妄想的な怒りだ。そうだよ、検索エンジンでキーワードが引っかかったくらいの他愛もないアクセスだよ、ね。
9月10日(金)
油断が一番禁物だった。
9月9日(木)
薄着も禁物。
9月8日(水)
二度寝は禁物。
9月7日(火)
猛。
9月6日(月)
アップスの新コーナーは夢だとさ。この日記も半分夢日記。現実は見たくない。
9月5日(日)
どーしよーもない。
9月4日(土)
なーんもなし。
9月3日(金)
夢。騒がしい体育館らしき広く高く仕切られた空間。卒業式のように並べられた椅子。俺と加藤が腰掛ける。丁度残り二つ空いていた席に。加藤が一番左端で俺がその右隣。さらに俺の右隣には伊藤だ。大股に足を開くので俺は空間的にも精神的にも窮屈だ。全体が騒がしいまま何かしらの式が始まる。壇上の男の妙な発言にげらげら笑う3人。俺は教師の叱責を少し恐れる。場面転換。真っ白な空間。こんな場所は始めてくる。騒がしい生徒達。俺が誰かにからむ。俺を呼ぶ声。高橋だ。場面転換。直前より狭い空間だが相変わらず四方は真っ白だ。ホワイトボードを前に三木が得意げに自分の理論を説明する。(そんなこと誰だってわかっている。繰り返すなよ)俺がその根拠を三木に尋ねたとき、その空間にいる人間の数が最初よりずっと減っていることに気づく。夢独特の嫌な荒涼感。●よくある名字ばかりが登場して実名を出せたのが新鮮。真っ白な空間は記憶の限り初めて体験する夢だった。●外出が嫌いだ。確かな理由がわからないが人が嫌だ。図書館や書店の客や店員から道端ですれ違うだけの人間、果てにはブラウン管に映る非芸能人まで。一刻でも早く逢いたいのが文脈から当然あるべき姿なのにそれを恐れ、挙げ句の果てに適用範囲を他人全体にまで拡大している。またもや逆行している。
9月2日(木)
初々しいゾ。見ているこっちが恥ずかしいし情けないようで思い描いていた理想みたいで思わず天を仰いだり視線を逸らしたりしながら、しかもあの漫画では決してそうなることはなかった「にやにや」な状態で部屋をうろちょろうろちょろ。これは初心忘れるべからずなのか負け犬の遠吠えなのか。●「リハビリ」の方はますます安物のゲーム音楽路線を突っ走り取り返しがつかない状態に。美しくあるべきフルートとステレオサンプリングのピアノによる二重奏(背景に流れる別のフルートによるシーケンスフレーズがファンタジー系ゲーム音楽の典型的な世界観:単刀直入に言えば聖剣伝説:を嫌らしいほどに醸し出す)に耳障りノイズを被せたあたりが精一杯の皮肉か。自分でも取り除きたい衝動に駆られる不快なノイズだ。
9月1日(水)
夢。そういえば印象的な夢を見たのに記録していなかった。数日前に見た夢だ。長い長い序章。河原(夢ではたびたび登場する場所だが知る範囲で現実には存在しない)、土手。自転車。病院。待合い。待ちくたびれて寝てしまう。帰り道。平林商店の前あたり。さっきの病院の。某BBSに書いた「誰かに似ている」の「誰か」だ。奢ってくれると言う。「その言葉には弱いんだ」。右折し坂を上る。奢ってくれるうれしさかなんだか有頂天だ。ちょっとした駄菓子程度を予想していたが気がつけばここは「夢の中の」川越市街。現実の川越とは別の町並みだ。何年か前、同じ町並みを夢で歩いた。確かその時は秋葉原という設定。何かを探し求めさまよい歩いた夢だった。さてこのせかいはいつの間にか夜だ。露天の団子屋。4つ注文する。両手に一つずつ持った情けない格好で目覚まし時計のベルが鳴る。
8月31日(火)
マキハラのアルバムとと傾倒する音楽との関係。某チャットと某BBSがこの日記の代役を演じ始めていることに気づく。悪い傾向だ!あのCD化の作業で日記の功罪、特に悪い部分を強く反省し、更正するなり開き直るなりなんなりとにかく病巣を取り除こうと決意したのに。音楽だ。今は音楽に集中しろ全身全霊を傾けろ魂をそそぎ込め意識しろ誰に聴かせたいのか何を伝えたいのかを熱く激しく。こんな深夜に盛り上がってもしょうがない。この緊張と霊感を昼間から沸き起こすためにはどうすればいい。古い「卒業制作」の方法論を取り出すか。Abstract Oneはそれでもいいよねそもそも概念が一致しているから。
8月30日(月)
堕堕堕堕。某チャット中、最後の文化祭ネタ。徹底的にさぼる男に詰め寄る女。痛っ。むう。叱咤されたほうが良かったのかもしれないしそう期待していたのかもしれない。なんだかんだ言われてしょんぼりとする結末を。映像作品なら、叱責を受けているところから突然下校の列車の中に移るはずだ。肝心だが重要なその場のやりくりを、面倒だからすべてすっ飛ばすドラマのように。優しさなのか嫌みなのか気にかけていたのか眼中になかったのか知る由もないし知るのも怖い。夜道を走りながらおもうことはこっちの方が多い。ふらふらと思いを巡らせ某チャットを眺める。Ya3の書き込み。「最後の文化祭」「掃除くらい」。痛っ。むう。努力は人に知られないから美しいのに。偽善。それもよかろう。廊下に出れば意地悪なタイミングですれ違うし戻ってみれば一言もしゃべれないで部屋をうろちょろしているし。この出来事がおれと黒川以外にどう認知されているのか。やっぱり知りたいようで知るのが怖い。そこまで後ろを向いて良いものか。確かにこの場面は重要であるに関わらずうっかり曲にしていなかった。だからといって2年も前のこの局面を音楽にするのは如何なものか。そこまで堕ちてしまったのか。いっそ開き直って「卒業制作 / Show Must Go On」前夜、とでも銘打ってたった今作った傷を戦いで負ったかのように誇るのか。情けないことだ。
8月29日(日)
惰惰惰惰。
8月28日(土)
駄駄駄駄。
8月27日(金)
今になってナニワ金融道と言われてもねえ。
8月26日(木)
夢。もう取り沙汰されるほどの意味はないように思える。夢独特の全体的に倦怠で不快で焦燥でドタバタだ。謎の部分社会。謎の管理体制。謎の集団行動。不要に冗長で気分の優れない夢。唯一の救いは、私は70だ俺は80だと息巻く連中をよそに50以上ならば大丈夫なんでしょうと不安げに問う存在。冷蔵庫の前だ。50以上だと何がどうなるかなど夢に存在している間しかわからない。50が何を意味しているのかさえ。●そんな、夢に入った瞬間に既に前提として持っている、その夢だけの知識や経験や常識や人間関係は、いったいどのように形成されるのか。生成規則と文法の正体は何か。●たまにはその後も記録してみるか。・・・・・・面倒なので記録中止。雨が降ったり猛犬が現れたり家族が逮捕されたり高額な請求書が届いたり色々あった。
8月25日(水)
刺激は皆無だ。ただ機械のように決められた道をたどりすべて予定道理の行動をとっただけだから。ソフマップの店員がどうのこうのなんて小さな話だ。うっかり昼食を食べ忘れる。
8月24日(火)
夢。またもや夢だ。この前の夢より幾分喜劇調、コミカルとカタカナを用いた方が雰囲気が伝わるかもしれない。この前の夢より意味は軽いのか。・・・色々あって。だめだ。それは受け入れられないよ。だって、ここにいるこの人が。さあ、行こう。と振り向く。そこにいるその人は後ろ姿で、一言も話さない。顔ばかりでなく声さえ聞くことができない。夢でさえこんなに離れてしまっているのか、と覚醒後に虚しくなる寂しくなる。地面に崩れてしまったのでゆっくり引き返す。あそこのあのひとはそのまま夢の舞台から降り二度と姿を現さなかった。9時だ。約束の時間だ。ここからそこまでゆうに十五分はかかる。自転車の後ろに乗せて走り出す。6歳。8歳だったかもしれない年齢に戻っていて、その当時から今も続いているテレビ番組の司会者を見ている。19歳に戻る。昨日の前は10年前かよ。ここからドタバタになるのだが夢にはよくあることだ。●某チャットで日記的テンションに突入した発言を吐く。妄想を膨らましてしまうタイプみたい。膨らませて膨らませてある時少し息をついてまた吹き込んで。そうしていつも窒息死する。厄介なことに、頑丈なゴムでできているこの風船は決して破裂することがないのだ。
8月23日(月)
悶々。
8月22日(日)
深夜何気なく見ていたBS。1980年を振り返る。大平首相の死、55年体制、大冷害。渡辺知子(漢字不正確)とその両親の船旅で終わった番組のBGMは「Let It Be」。またしてもビートルズに大打撃を受け、ふらふら風呂で脳味噌は妄想トリップ。夜。オッペ川の土手の上。スタートラインだ。一人で立っている。向こうの架橋に走っているのはもちろん東上線だ。人影。(中略)・・・あれ、覚えてる?ほら、家庭科の授業で。オークションみたいなことやったの。その時俺が「趣味」を法外な高値で落札したの、覚えていないかな。(中略)・・・って、細沼氏が後で言っていたんだけど、実は知ってたりしない?まあそれはともかく(止めどなく続く)。トリップの舞台が夏休み明けまで暴走する。(中略)・・・そこで是非協力してもらいたいんだよ。更に数ヶ月後まで時は流れる。(中略)・・・も参加してくれることになってサ。研究棟のどこかの教室で暴走結果を自慢している。(紆余曲折)・・・我に返りパーで水面を叩き浴槽を蹴る。痛めた左膝がぎゃあと悲鳴を上げる。縁に腕を置き頬を乗せた姿勢で考える。いったい三浦氏はあの後どうなっているのだろうか。同じ意味で金田氏にも会ってみたい・・・(残りすべて略)。風呂から上がりもう一度パーに手をつく。激痛の階段を上がって今これを書く。そしてこれから更なる激痛のはしごを登らねばならぬのだ。
8月21日(土)
ぶっちーを送りそのまま熟睡。そろそろ中断しようと思っていた越田計画に手を加える。割れポンを最後まで見る。
8月20日(金)
夢。夢が単純に願望を示すものだとしたら、その人を否定してその行為を肯定したい。「キライ」。畳の部屋。夜はやや冷える季節の夜。タオルケット。確かに。だが不確かだ。「マズイ」。そんな元も子もないこと言うなよ。この薄暗く狭く心地肌寒い空間で乞うように手を伸ばす。みんなウソだったということが証明される瞬間、涙が出る。隣の空間から漏れる明かりが、この秘密の危うさと危機感故の逆説的な快感を増す。そうして静かに意識を失って行く。死んだのかもしれない。美しい夢だった。自分の描いた落書きを芸術だと吹聴するような禍々しさだが。
8月19日(木)
越田プログラムだったり翻訳だったり。充実しているんだか不毛な日々なんだか。どっちとも。
8月18日(水)
越田プログラムだったり翻訳だったり。充実しているんだか不毛な日々なんだか。
8月17日(火)
交差点を右折してそのまま川越まで行ってしまう。そんなつもりではなかったから裏道を行く。なんなんだこの行動は分析不可予測不可。
8月16日(月)
痛いというよりも悔しい。
8月15日(日)
裏・音楽的近況。「Favorit Song」。時を遡ること数年。どっちを先に好きになったのかわからない。今までラジオ番組が先だと脳味噌の変数にはとりあえず記録してきたが、いざ性格に思い出そうとすると・・・ちと迷う。因果関係や常識的な話の筋道を根拠に推測しようとしても少し微妙だ。独特の声色と話し方が個性的で、魅力的な番組だった。リスナーの質は軒並み低かったが(伊集院と比較されてしまうのが可哀想だ)それに余りあるほどの。黄金の1時間30分は、一つが何処へ流れ、一つが沸騰し、一つが蒸発した。朝教室に行くとそこはたとなく似ている声色が話し方が聞こえてきたのだ。そうしてそれは「a shoe」と名付けられたのだ。
8月14日(土)
裏・音楽的近況。自分の嗜好から冷静に分析すればとるに足らないはずの浜崎あゆみの存在が不当に大きいことに気づく。なぜだろう。野猿に対する憎悪に理屈を付けた脳味噌の勢いであれこれ考えてみる。結論が出た珍しく。つまりそこはたとなく似ているのだ。「Four of a perfect pair」と名付けた存在に。意識し走り始めると止まらないよ坂道ころころ奈落の底へ真っ逆様。そーしてまたまた鬱々沸々といじけ、某チャットに吐露ってしまうのだ。反省。●
8月13日(金)
悔。階段も上れぬ。
8月12日(木)
休暇の因習。深夜の映画を見通してしまう。あのドイツ軍の将軍のように左足はびっこを引き、長い間歯ブラシをくわえていたため薄皮が白く染まって洗っても吹いても落ちない。あの少女の入れ墨のように。皮肉だ何という皮肉皮肉だ皮肉だまさに皮肉皮肉皮肉。人は死に様だ。いかに死ぬかだ。強く思う。もし万人に死が平等に訪れる、たとえば三日後に世界が終わるのなら交差点を直進しすべてをかけて、みせるだろう。・・・これもやはり死に様だ。たとえ左膝が激痛を発すこの道のりが苦しくても必ずその苦しみには終わりがあるのだ何らかの形で。それは人の生命には必ず死が訪れることの縮図。人生における個々のすべての要素は、その人生全体「生まれて、そして死ぬ」の自己相似形を成すのか成さぬのか。非アメリカの戦争映画を観るといつもこうだ。
8月11日(水)
愚が大きい。
8月10日(火)
誤って日記に書くべきことを某BBSに先に書いてしまう。要約追記する。●長きにわたり様々なポーズで絶望してきたわけだが、それは妄想とも言うべき希望に裏打ちされた絶望であったからこそ日記や某BBSでその状況を予言の自己実現のように自作自演し、ある意味楽しめたわけだ。時には神の力か錯覚の錯覚かと思うような幸運(すべて台無しにしたわけだ)をも体験した。Tail to Noseと名付けられたアレラだ。じゃが、今日の些細な不運は、何故か小さな希望−また神が悪戯するさという期待−をすべてうち砕くような象徴的な出来事だった。このショックは大きい。黒い体液をまき散らしながら内側に崩れ落ちてゆくピラミッド(ナウシカのイメージだ)の如く崩壊してゆきそうなこの時期、こうやってただ走ることがとても意味深いものに思えるし実際こうやってまた日記に記録する力が沸いている(昨日が力尽きていることを考えれば)。その点に於いて半強制半自主的とはいえその動機付けをしてくれた父には感謝、なのかなあ。でも疲れた。一年ぶりだもの。
8月9日(月)
無無無無無。
8月8日(日)
霧霧霧霧霧。昨日の幻をもう一度見たくて同じ時刻同じ場所へ自転車を走らす。ただそれだけのために。振れると指に色が粘り着きそうなべた塗りの肌とその肌と変わらぬような色の髪と七色に光る手足の爪となんちゃってパンクの小物を身につけ何故か対照的に地味な浴衣を身に纏う男女が闊歩する上福岡駅前へ。ははは何もいないやだって幻だもの。あまりに病気的な行動に理由を付けるため食べたくもないパンとそんなに飲みたくもないジュース1リットルパックを買って帰る。暇人かく狂いし。
8月7日(土)
夢夢夢夢夢。夢であれ。幻。悪夢が現実であるならこの幻こそ現であれ。・・・・・・・・・あの交差点を右折して。あの二人は夢だったのだろうか。この時こそ憮然として階段を上り詰めるべきなのに、たった2段上ったところでよろよろと引き返し一階の本屋へ逃避行。やっと力が沸いて慌てて駆け上がるが時すでに遅し夢は現実と区別が付かぬまま。交差点を左折して。「世の中にはいくら悔恨しても取り返しのつかないことがある」明白な事実に今更痛みを感じつつさして空腹でもないのに松屋へ。カウンター−公衆の面前−で深く深く思考の沼に落ちてゆく。そうして滑り出し自転車にまたがり家路へ。祭り。祭りだったからだ。ほんの前にみた夢とカレー屋を通過しながらのつぶやきと牛丼を食いながらの思考が祭りと相まって。そう、祭りのせいだ。激しい通り雨で一度は大人しくなった通りも店を出る頃にはまた華やかだ。イケイケの女が黒い肌とゲロ色に染まった髪で似合わない浴衣を纏い下品に笑う。そんな一角に見た幻。祭りが思考が悪夢が見せた幻。卒業写真や春巻きや民宿「みきを」やフォークダンスやポケベルや殴りたくなる壁やカフェオレや327や。最後に譲れないものがプライドなら我が牙城は陥落だ黒い炎に包まれて。振り返っても二度と見えない。だって幻だもの。引き返してもう一度確認すべきだったのだろう。それもせずただ無心に自転車をこぐ。祭りのせいだ。
8月6日(金)
憂鬱な時間に起きロフトの上で膝を抱え独り消極的な思考と胃にしみる恐怖に苛まれるのだ。駅へ向かう中途すでにこの日記に書くこのことを考えていると書くことを考えていると書くことを考えてると書くことを考えているテクストはテクストはテクストText is a text is a text。無限ループの終焉はすなわちやがて入ってくるこの新木場線。負け犬の遠吠えにもならない息を吐きつつ符号を逆にしたハイテンションを保ちつつ、いったいあんたらは何のためにここにきているのだオートマトン。●いつもの机に鞄を置き右を向いて突っ伏す。視線は不可思議な本を取り囲む郎党どもの更に彼方へ。あんたをみているといつも微妙な感情が脳味噌をよぎるのはあのこに雰囲気がよく似ているからだったんだね今気づいたよやれやれだ。謎が解けたとき遷移する状態は二つに一つ。例えば最初の金曜日高嶺の小川の小さな落差がもうすっかり消えて枯れてしまったように。でも雨が降ればいつでも蘇るさそれが不思議でならないのですけれども。●道端で渋谷氏(中学時代の「しぶたに」だ。高校時代の「しぶや」でなく)に遭遇。彼もよく気づいたな、夕闇の中ワゴンと自転車ですれ違っただけなのに。そして5年の歳月を吹っ飛ばすほど何気なくかけられる声。黒く逞しくいい男になっていた。番号一つの大きな落差。●小原氏推薦の怪しげなドラマをみる。演出に激しく不服を覚える。文章にも映像にも具現化できない自分の能力のなさに憤る。音楽も然り、つまり頭に浮かんだ着想をどれだけ現実世界に具体的な形として表現できるか、これは才能以前に技術の問題である。先ず絶対的な技術がなければ自己表現も芸術もあり得ない。当たり前のことだが痛感する。
8月5日(木)
夢。補講か何かで教室へ。もう顔も描かれない。声さえ不確かだ。左の方で携帯電話が鳴る。男四人女一人。願わくば男からの電話でないことを。懐かしい形の机に鞄を起き右を向いて突っ伏す。話しかけるやつもいる。何故なのだ。覚醒。起こされて。●そうしてまたCDを一つ作成して、空だった"Message"欄を記入する。こればっかりはもう、どうにもならん。
8月4日(水)
PCの不調、パッドのイカレ。環境構築の面倒さ。
8月3日(火)
こうやって上福岡のベンチで30分座っていることも、一人構内をうろつくことも、グリーンヒルで2時間雑誌に目を落とすことも、苛立つくらいのこの平和も、ホームから見える真昼の田舎も、すれ違って挨拶するくらいの関係も、狸寝入りで考え事にふけるのも、気がついたら寝ているのも、LPを衝動買いすることも、駅前の松屋で大盛りツユダクを頼むことも、2番目の本屋で雑誌を買うことも、機嫌の悪いPCも、太刀打ちできないスキルも、隙だらけの服も、透き通るような瞳も、ハスキーボイスも、須々木の葉も、隙間だらけのこの心も、リムスキーコルサコフの音楽も、鞄に忍ばせたCDも、なにもかもみんな、すべてを。もっと大きな、に負けないくらいに。●「Tail to Nose」。曲名に。また、シナリオの題名に。4/22、5/13。
8月2日(月)
またベンチで座ろう。
8月1日(日)
うじうじ。●・・・の筈だったが深夜、いつものテンションに戻っている。いつのまにかまた死を恐れている。あの鬱で無くては創れない音楽があるはずなのに。そんな病で済ましてなるものか。もっともっと突き詰める価値がある病なのだから。強制的でもいいから鬱へ鬱へ鬱へ。
過去の日記はに移動しました。
自己紹介
●...段落, ▼...懐古回想, ◆...夢・妄想空想, ★...未定, /* */...注釈